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アメリカスカップ2003年情報 #1
==あれから半年== |
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3月2日にチームニュージーランドがアメリカスカップを防衛してから、まもなく半年が過ぎようとしています。その間にニッポンチャレンジが次回の挑戦を見合わせたり、「ブラック・フライデー」と称して報道されたラッセル・クーツ(ニュージーランドの防衛スキッパー)他数名がスイスのベルタレーリ・シンジケートに引き抜かれてチームニュージーランドが崩壊の危機にさらされたこと、次々に名乗りをあげたアメリカの富豪シンジケートの話題など、アメリカスカップは2003年にむけて、早くもドラマが始まっています。
このページでは、たとえニッポンチャレンジが出なくてもアメリカスカップ大好きという皆さんのために噂と情報を織り交ぜながら、斉藤愛子流ニュースを流していく予定です。よろしくお願いします。 7月19日にニッポンチャレンジが次回の挑戦は断念するという記者発表をしました。 最初にこの日の記者会見のお知らせをいただいた時には「ニッポンが2003年も挑戦する」という発表の場ということだったのですが、その数日前に突然新聞にニッポンが挑戦を断念することが掲載されました。どうやら、オークランドのベースキャンプの敷地を借りる契約を取り消したことがきっかけで、ニュージーランドから先に世界へニュースが発信されてしまった結果のようです。山崎会長が資金難ということを理由にあげておられましたが、これから紹介する富豪シンジケートが次回の敵だと知れば、スポンサーや寄付を集めて資金を集めたくらいでは対抗できるわけがないと、次回を見送る決断をされたことがわかります。 防衛直後に挑戦状をたたきつけたヨット・クラブ・プンタ・アラはパトリッツィオ・ベルテーリがヘッドでプラダ・チャレンジとして、2度目の挑戦をします。今回の予算は前回よりも少し増やして約60億円を考えているようです。オークランドでヤングアメリカ2隻を購入し、一度イタリアへルナ・ロッサ2隻と合わせた4隻を持ち帰りました。 プンタ・アラのベースでは6月からセイラーが15−6名、ずっと休みのないショアクルーが十数名ほどでルナ・ロッサ2号艇とヤングアメリカ1号艇(阿修羅と対戦中に折れて沈みかけたボート)がテストセーリングを始めました。7月いっぱい続いたテストにはマッチレースを転戦中のエド・ベアードとクルー4名も1週間ほど合流しています。9月もテストがあり、その後、ニュージーランドの夏に合わせて、現地トレーニングを計画しており、前回のベースはそのまま確保しています。前回のメンバーを中心に補強、入れ替えをしながら積み上げていく作戦です。私は6月末にプンタ・アラに行って様子を見てきましたが、フランチェスコ・デ・アンジェリスの話では彼が次回もスキッパーかどうかはまだ決定していません。ちまたの噂ではロッド・デイビスというのもありますが、私はフランチェスコで決まりだと思っています。 防衛した次の週からデータ解析とテストセーリングを始めたチームニュージーランドですが、ラッセル・クーツ、ブラッド・バタワースがチーム・ニュージーランドを抜けるというショッキングなニュースが流れたのが5月19日でした。そして、チームニュージーランドのマネジメントがガタガタで、次回防衛するためのメンバーと契約できないでいる間にアメリカやスイスの新シンジケートが次々とセイラーを引き抜いていってしまいました。2000年のスタメンで残ったのは4名だけです。 崩壊寸前の組織を立て直したのはトム・シュナッケンバーグで、トムが新しいシンジケートヘッドになりました。彼はまず95年にオペレーションチーフだったロス・ブラックマンを拝み倒して組織に戻ってもらいました。また、デザインチームの中心だったマイク・ドロモンドも残りましたから、トムとマイクが中心になって、デザインチームから抜けた人材を埋めるための新しい人材発掘をし、それはそれでマンネリ化しかけていたところに新風を入れることで強化できました。ロスは残っているメンバーがこれ以上海外の富豪シンジケートにお金でつられないよう、セイラーとの契約を結ぶ作業をあっという間にやりとげ、崩壊という危機を、「新しい力の導入」という前向きな体制に塗り替えてしまったのです。 7月にワイヒヒ島に新メンバーが集まり、孤立した状態で作戦会議を開いてチームの結束を固めました。スキッパーのディーン・バーカーは自分とバックアップスキッパーのキャメロン・アプルトン、それに3番目のヘルムスマンが海外へのマッチレースに出て、ディフェンダー内で強いチームを2チーム造ることを今年の目標にしており、2000年クーツのチームに勝つレベルを目標にしています。また、最初のセイリングテストはすでに5月で終了しており、10月から英国のウルフストン研究所で5モデルのタンクテストが始まります。次のセイルテストは年末から始まりますが、海外へヘッドハントされたチームニュージーランドが逆に海外から3名のヘッドハントをしていました。タンクテスト担当のアラン・クロートン、ウエザー担当のロジャー・バダム、コンピュータープログラマーのクリス・ミラーです。 クロートンは過去15年に及んでチームニュージーランドのタンクテストをやってきましたが、英国人であるがゆえに、ヨットエンジニアとしてのアイデアは話すことができませんでした。次回は英国での仕事を休んでニュージーランドへ引っ越し、テストだけでなくもっと開発に関わる予定です。バダムはアメリカワンのウエザーを担当していましたが、ボブ・ライス(前回、前々回のウエザー担当)が人間の目を信頼して風を予測していた方法から、もっと科学的な方法を取り入れているバダムになりました。ミラーはコンピュータープログラマーとして、36歳にしてすでに引退してしまうほど稼いでしまいました。自分のコンピューターを使ってアメリカスカップボートを解析し、今年の1月にトム・シュナッケンバーグに自分のアイデアを見せた人物です。2年ほど仕事をしていなかったので、チームニュージーランドの仕事は楽しみだといいます。 クーツとバタワース他数名を引き抜いたスイスのベルタレーリ氏は製薬会社セランをもつ富豪で、予算に制限がありません。150−240億円ともいわれる予算を個人資産でまかなうそうです。 ニュージーランドの崩壊が引き金でチャレンジを決意したのがコンピューターのオラクルを代表するラリー・エリソンです。エリソンは世界で2番目の金持ちといわれていますが、ヨット界ではマキシの「さよなら」のオーナーといったほうがわかりやすいかもしれません。アメリカスカップには興味がなかったのですが、「さよなら」のレギュラークルーであるニュージーランドセイラー達がクーツやバタワースが海外へ出るという話をしだした時に、そんなことがあるのかと興味をもち、挑戦することを決めました。「さよなら」を母体にしての挑戦ですから、スキッパーはそのままクリス・ディクソン、デザイナーはブルース・ファーです。 以前、「さよなら」に乗っていたポール・ケイヤードが勝つためにベストなプログラムでキャンペーンすると75億円はかかるだろうと試算し、ケイヤードがスポンサーで集められるのは35億円がやっとだとギブアップ寸前だったところに狙いを定め、アメリカワンの2隻とケイヤード他数名のスタッフをまるごと吸収してしまいました。しかも、万が一、話し合いが決裂した時の安全策として、アロハレーシングの2隻とコンテナ他物資は5月末に購入していたのです。アメリカワンのデザイナーだったブルース・ネルソンは誘われたものの、長い長い話し合いの末、加わらないことになりました。デザイナー間での葛藤もあるのでしょう。ケイヤードはキャンペーンマネージャーで、ジョン・カトラーがセーリングマネージャー、ディクソンがスキッパー予定です。ただし、このシンジケートの人事は今後も変動があることでしょう。 アメリカワンと同じくセントフランシスヨットクラブからの挑戦になるはずですが、まだ決定ではありません。11月からオークランドでアメリカワンの2隻を使ったテストセーリングを行い、2001年12月に新艇建造開始、2002年4月か5月に進水というプランです。ケイヤードは「今回はお金集めの心配は全くないから、イルモロの時と同じく、完璧な準備を重ねていく」そうです。ケイヤードの役割は今のところキャンペーンマネジャーですが、彼が95年にデニス・コナーのスターズ&ストライプスに加わった時も最初は何でも屋で、ボート上で走り回っているうちに、最後はレースのことだけを考えていれば良いヘルムスマンに落ち着きました。今度もどうなることか。 もうひとつの富豪シンジケートはシアトルのクレイグ・マッカウで、ワンワールドチャレンジです。ここも崩壊寸前のチームニュージーランドからチーフ・デザイナーのローリー・ダビッドソンを引き抜きました。ダビッドソンは長年シアトルに住んでおり、シアトルヨットクラブは地元でしたから、話があった時にすぐ決まりました。セーリングディレクターにはピーター・ギルモア、そしてチームニュージーランドからエンジニアを含めて11名が入りました。 マッカウは衛星通信関連の通信業界で成功し、個人資産が6100億円ともいわれています。前回のニュージーランドのカップ防衛にも支援していますが、今回はカップに挑戦することになりました。富豪シンジケートに共通することですが、資金に余裕があったとしても、スポンサー企業は獲得します。そして、カップの場をスポンサーの宣伝の場に提供するという余裕があります。ワンワールドはスポンサーから得た資金は自然保護団体に寄付し、海を大切に守ろうというキャンペーンもヨットレースを通じてろめていきます。108年の歴史をもつシアトルヨットクラブはカップ初挑戦です。 スエーデンからもジョン・ステンベック氏がビクトリーチャレンジで挑戦表明しています。すでにNZL38を買っており、イエテボリをベースに活動します。ステンベック氏は58歳、80年代からヨーロッパのメディア業界で活躍し、スカンジナビアでの衛星放送を手がけました。またボーダフォンの創始者の一人でもあります。スキッパーにはスエーデンのスター級でシドニー五輪代表のマッツ・ヨハンソンが決まっており、スエーデンセイラーを中心にチームを作ります。冬場は地中海のイタリアへボートをもっていき、イタリアでトレーニングするといいますが、その時プラダはオークランドでしょうか。 こういったシンジケートは個々に記者発表でその存在をアピールしていますが、正式にエントリーをしているところはまだプラダだけです。上記のシンジケートの他にシアトルのベルドン、ドウン・ライリーのアメリカ・トゥルー、スイスやオーストラリアで話がでています。2001年3月がエントリーと外国人選手・設計開発者の登録締め切りで、挑戦艇を決めるルイヴィトンカップは2002年10月頃から始まり、カップ本戦は2003年の2月―3月頃の予定です。 (8月21日発信) 文・斉藤愛子 ※本WEBページ掲載内容の無断転載を禁じます。 |