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アメリカスカップ2003年情報 #3
==ここまでのラインアップ== ![]() プラダはルナ・ロッサ2隻を使って練習 (写真・カルロ・ボレンギ) |
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![]() シアトルのワンワールドチャレンジに行った脇永達也 ![]() フランスの鍵を握るルク・ギルソー ![]() プラダのデザイナーだったジャーマン・フレーズはスエーデンへ デニス・コナーの片腕はトム・ウィデン ![]() 写真のカルロ・ボレンギ(左)と執筆したルカ・ボンテンペリ(右)(写真はSea&See, ギド・カンフィニ) |
世界各地で1時間おきに花火があがって新年を迎えたミレニアム2000年も、まもなく大晦日を迎え、いよいよ21世紀を迎えるカウントダウンになりました。カップがオークランドに残った3月が随分前のことのように思えます。今回はここまでの挑戦シンジケートを簡単にまとめておきます。
ドイツからの初挑戦 ドイツは92年にアメリカスカップが12メートル級からACボートに代わった時に挑戦をする予定でしたが、東西統合の話が実現したおかげで、「ヨットレースよりも国を立て直すことのほうが先」という優先順位に従い、スポンサーが集まらずに挑戦できませんでした。次回挑戦を表明したのは1970年代から「ピンタ」という名前の艇でIORやIMSレースで活躍してきたイルブルック親子の息子であるミハエルがシンジケートのイルブルックチャレンジです。 現在は2001年9月にスタートするボルボオーシャンレース(旧・ウィットブレッド世界一周レース)に出場するための準備中ですが、2002年にフィニッシュした後、スキッパーのジョン・コスタキを中心にそのままグループ全体がアメリカスカップシンジケートへと移行します。イルブルックにとっては6年プロジェクトで、2006年に勝つためのスタートとして2002−3年は挑戦します。従って、1隻だけの建造で、イルブルックのレベーカーセン工場で建造します。 練習中に沈 オラクルシンジケートはアメリカワンの2隻(49号と61号)を使って、すでにオークランドで練習を始めていますが、11月22日にクリス・ディクソンが舵をもっていた61号艇のキールが帆走中にはずれて海中深く落ちてしまい、ボートはディンギーが沈するように横倒しになってしまいました。非常時の対応は熟知しているメンバーでしたからエアバッグ艇内に入れたり、ポンプで水をかい出しながら、マストトップにブイをつけて沈没は免れました。怪我もなく、ボートも沈まずにすみ、50メートル下に沈んだキールも何とか引き上げようと考えているそうです。 修理に時間がかかるため、年末までに2艇でテストしようと計画していた帆走プログラムを変更しなければならないのが痛いところですが、先に1隻でできることからやれば何とかなるだろうと楽観しています。49号の舵はケイヤードがもっていました。 頑張れニッポンセイラー シアトルのワンワールドチャレンジにニッポンチャレンジにいた脇永、早福が加入し、11月後半からオークランドへ行きました。ワンワールドはドウン・ライリーが次のチャレンジを断念したため、アメリカトゥルー艇を技術陣やデータとパッケージで購入しました。また、アメリカワンのデザイナーであったブルース・ネルソンも加わりました。オークランドでの練習の後、シアトルをベースに活動をしていきます。 スエーデンも始動 ニッポンカップで3位だったマグナス・ホルムバーグとマッチレースチームのメンバーはビクトリーチャレンジに入ることになり、ニュージーランドの38号艇を使って練習を始めました。また、デザイナーに前回はプラダだったジャーマン・フレーズが決まりました。 スエーデンの冬は寒いので、地中海にベースを構えて今年は基礎練習をしていきます。スエーデンは92年についでACボートになってから2度目です。 デニス・コナーがやっと正式契約 デニス・コナーがニューヨークヨットクラブから挑戦するという話は早くからあったのですが、11月になってからやっと正式にクラブとの契約が承認されました。 由緒ある歴史をもつニューヨークヨットクラブとしては、「ヤング・アメリカでの敗戦ぶりがみっともなかったから、もう挑戦はやめよう。お金の無駄だ」という意見や、「何でデニス・コナーに頭をさげなければならないのだ」という反発、その他の意見も多々だされて話がまとまるまでに時間がかかりました。あえてデニス・コナーにかけたのは、前回のスターズ・アンド・ストライプスが少ない資金でアメリカワンにつぐ成績を残せたから、その技術と手法を高く評価したのだそうです。 デニス・コナーがシンジケートヘッドですが、ヘルムスマンはケン・リード、タクティシャンにトム・ウィデン、オペレーションマネジャーのビル・トレンクルもトリマーとしてセイリングしますし、前回のメンバーの多くを呼び戻します。今回は2隻を建造する予定で、デザイナーはライケル・ピュー、ボートもニューインングランドヤードで建造しますからかわりありません。短い時間ですし、前回からのステップアップとして考えています。レースがうまいチームですから、きちんと準備してきたら恐い存在になります。メインスポンサーにコンピューター・アソシエイツがつきました。 スイスが正式にエントリー承認される エントリーフィーを送っていながら、ディード・オブ・ギフトに記載されている「挑戦クラブは毎年海でのレースを主催していること」という条項にひっかかるとして、保留にされていたベルタレーリ・シンジケートのエントリーがアメリカスカップ仲裁委員会により、正式に認められる判断がでました。 スキッパーのラッセル・クーツは、ニュージーランドが自分に対して意図して行っている嫌味だと批判のコメントを出したこともありましたが、認められた後は、「今後、湖から挑戦するクラブもあることをふまえて、ディード・オブ・ギフトを変更することが必要だ」と意見をだしています。スイスはやっと正式に活動を開始します。 「ルナ・ロッサ」の本 初挑戦したプラダの物語を1987年にはイタリア号のピットもつとめたルカ・ボンテンペリ(カップ取材は5回目)がまとめ、カルロ・ボレンギの写真600点以上とあわせて本にしました。イタリア語で書かれているため、日本ではどうやって入手できるのかよくわかりませんが、そのうちにプラダのショーウィンドウに並んでいたりして・・・カルロ・ボレンギの写真はこのサイトでも沢山紹介してきました。世界でもトップクラスのヨット写真家です。 ニッポンカップで最下位になってしまったフランチェスコ・デ・アンジェリスですが、プラダは1月から4月までオークランドで練習開始。小さいボートでのマッチレースはあまり得意ではありませんが、長期にわたるテストセーリングやACボートでのセーリングは完璧主義のフランチェストの得意とするところ。 ロッド・デイビス他、イタリア人でないセイラーが数名プラダに加入しましたが、アメリカワンのバックアップスキッパーだったギャビン・ブレイディーもその一人です。マッチレーサーとしてトップレベルで、しかもオリンピックのスター級にニュージーランド代表として出たセイラーです。フランチェスコの欠点を補ってくれる期待の星でしょうか。 スタートラインに到達できるのか この他にも下記の挑戦が表明されていますが、果たしてスタートラインに到達できるのか。 フランスはスキッパーのパセがチームニュージーランド、デザイナーで活躍していたホワン・コウヨウミジアンがプラダへいってしまいましたが、中心になるルク・ギルソーは「パセがTNZにいったことで、アメリカスカップ本戦がフランス人スキッパー同志になる」と、強気の発言をしています。問題は資金集めでしょう。 フランス(ル・デフィ) ルク・ギルソー(コーディネイター) (12月15日発信) 文・写真 斉藤愛子 ※本WEBページ掲載内容の無断転載を禁じます。 |