アメリカスカップ2003年情報 #4

==最初のエントリー締め切り==


  3月1日にアメリカスカップに挑戦するヨットクラブのエントリー締め切りがありました。この日までに参加料の15万米ドル(約1800万円)を収めて正式にエントリーが認められたのは7カ国9ヨットクラブです。また、外国人セーラー、デザイナーの登録も締め切られました。

挑戦クラブ名 シンジケート名 前回
Yacht Club Punta Ala Prada Challenge
イタリア
AC挑戦艇
Reale Yacht Club Canottieri Savoia Mascalzone Latino
イタリア
初挑戦
Seattle Yacht Club One World
アメリカ
初挑戦
New York Yacht Club Stars & Stripes
アメリカ
LVC3位
Societe Nautique de Geneve Swiss Challenge
スイス
初挑戦
Dusseldorf Yacht Club Illbruck Challenge
ドイツ
初挑戦
Union Nationale pour la Course au Large Le Defi
フランス
LVC6位
Royal Ocean Racing Club Brittania
イギリス
初挑戦
Gamla Stans Yacht Sallskap Victory Challenge
スエーデン
初挑戦











脇永達也
AC2003のトニー・トーマス(写真左)とチームニュージーランドのロス・ブラックマン(写真右)は多忙な中、日本に来てアメリカスカップのPRをしていきました。日本は挑戦しなければいけないと!
















ルク・ギルソー
シドニー五輪のスター級表彰台。左から2人目でうつむいているのがイアン・ウォーカー。右から2番目のトーベン・グラエル(ブラジル)はプラダに復帰しました。
















ジャーマン・フレーズ
スイスの湖でマッチレースの練習にはげむマリー・ジョーンズとバウのディーン・フィップは共にチームニュージーランドからの移籍。ジョーンズの娘は英語しか喋れないのにフランス語の小学校へ行くため、どうなることやら。





これまでに紹介してきた中で、最も有力視されているオラクル・チャレンジ(アメリカ)がエントリーしていないことを不思議に思うでしょうが、オラクルは挑戦するクラブとの話し合いがまとまらず、エントリーは先に延ばすことになりました。最終エントリーの締め切りは2002年3月1日ですが、今後エントリーするクラブは参加料が倍の30万米ドルになります。お金に糸目をつけないオラクルですから、満足がいくまでクラブとの交渉が続くのでしょうか。しかし、正式にエントリーをしないと、これから始まるチャレンジャー会議での投票権がありません。オラクルはそのあたりも気にしていないのでしょうか。

3月22日に東京・渋谷にあるニュージーランド大使館でチームニュージーランドのロス・ブラックマンとAC2003のトニー・トーマスが来日しての記者会見がありました。
二人とも口を揃えて、「アメリカスカップに日本は出なければいけない。過去3回の挑戦で積み上げてきたことをゼロにしてはいけない。シンジケートを立ち上げるためのノウハウなら何でも応援するから。日本に挑戦してほしい。」と。新聞に掲載されたりした関西ヨットクラブが中心となっている挑戦も火は消えておらず、資金確保に努力しています。
ブラックマンは「勝つことにこだわらず、どうやって勝つかにこだわってほしい。日本からの挑戦は日本人スキッパーが登場してこそ、本当の価値があると、私は思っている。ニュージーランドは4度目でやっとカップをとったし、スキッパーは常にニュージーランド人で、優秀な外国人はコーチやスタッフで雇ってきた。だから、ニュージーランドのセーリングに貢献できたと思っている。」と、チームニュージーランドを振り返りました。
若いセーラーは良い指導者に恵まれれば底知れなくのびていく可能性を持っています。日本の挑戦が実現することを読者の皆さんも応援していてください。

リストの中で新顔はイギリスのブリタニアとイタリアのマスカルツォーネ・ラティノの2つです。まず、イギリスから紹介しましょう。シンジケートヘッドのピーター・ハリソンは個人の会社であるChernikeeftを南アフリカに売却して得た収益からアメリカスカップに挑戦することにしました。シンジケートを立ち上げるための640万ポンド(約11億円)はハリソンがだしましたが、残りはスポンサーを探しています。イギリスはアメリカスカップが12メートルからACに変わってから一度も挑戦していませんから、まずACの技術面での遅れを取り戻すことが最初の作業で、今回の挑戦はその第1歩と構えています。2度目か3度目で必ず英国にカップを取り戻すために、若手中心の構成になりました。

ハリソンが最初に確保した人材はシドニー五輪のスター級で銀メダルのイアン・ウォーカーとニュージーランド人のデイブ・バーンズです。
ウォーカーはアトランタでは470男子の銀メダルですが、ケンブリッジ大学時代にはヨットチームのキャプテンもつとめ、全体のチーム構成からプログラムを担当するセーリングマネージャーです。20ヶ月で初挑戦をするため、時間が最大の敵であり、チーム・ニュージーランドをお手本に強いチームを作るためにシドニー五輪直後から水面下で動いてきました。
バーンズは92年はニュージーランド、95年はワンオーストラリア、2000年はアメリカトゥルーというだけでなく、89年のミスマッチのニュージーランドではスキッパー、87年のキーウィーマジックの挑戦ではセールコーディネイターからバックアップヘルムスマンと、この20年はアメリカスカップで活動してきました。今回はイギリスチームのジェネラル・マネージャーをつとめます。

イギリスはニッポンチャレンジから阿修羅、韋駄天、JPN41の3艇を買い、技術者として高橋太郎氏と金井明人氏がチームに加入しました。
デザイン陣はACのクラスルールを作成する時のメンバーだったデーリック・クラーク、マルチハルからオリンピッククラスまで幅広いセーリングや造船活動を続けてきたジョー・リチャーズを中心に構成され、タンクテストはウルフストン試験所とゴスポートのDERA(軍関係の施設)で行います。
今年の夏まではワイト島のカウズをベースにJPN41を使ってのハンドリング訓練、阿修羅と韋駄天を使った2ボートテストなどを行い、ニュージーランドの夏に合わせてオークランドに移動します。新艇は1隻を建造予定で、カウズの旧FBM造船所のヤードを使います。

バーンズを雇うこととニッポンの技術を買うことでイギリスは10年の遅れを一気に取り戻そうとしていますが、中心になっているメンバーはヨットレースで低迷していたイギリスを一気に頂点へと押し上げた面々です。今回のシンジケートが立ち上がった時に、「ローリー・スミスやクリス・ローは今まで20年間もチャンスをもらいながら、結局挑戦できなかった。今回は自分達が挑戦する番であり、彼らはコーチの立場に回ってもらいたい。」と、名指しで旧勢力を排除することを明確にしています。これは次の挑戦ではセミファイナルに残ることを目標とし、その次にカップを狙えるチーム作りをする目的です。
イアン・ウォーカーという男は初めて陸地が見えなくなる外洋レースに出た時に、並みいる強豪をものともせずにマム36でファーストホームしたタクティシャンで、ディンギーセーラーがそこまでできるかと、驚かせてくれました。斬新な初挑戦に期待できそうです。

イタリアのマスカルツォーネ・ラティノはモビー・ライン(船会社)のオーナーであるヴィンセント・オノラトがヘッドです。2000年のカップでプラダが活躍し、イタリア中が騒然となった余韻から、自分も挑戦してやろうという意気込みですが、会社がスポンサーするわけではなく、個人の資産と小スポンサーを幾つか集めて、300万ドル(約5億円)の挑戦になります。
すでにスペインのブラボ・エスパンヤを購入し、新艇1隻はイルモロを建造したベネチアのテンカラで造る予定です。オークランドへ行くのはレース直前で、乗るのはバスコ・バスコットを中心としたイタリアセイラー達です。ヨットクラブはナポリですが、ベースを構えるのはエルバ島のポルトフェライオです。エルバ島はプラダの本拠地であるプンタ・アラの沖合ですが、いっしょに練習したりとかいうことはなさそうです。

余談になりますが、2月後半にヘルシンキボートショーから戻る途中、フランクフルト国際空港でマリー・ジョーンズにばったり会いました。ジョーンズはクーツと共にスイスチャレンジへ移ったタクティシャンですが、「風見鶏男」としてマストに上ってレース海面を網羅していた人です。これから4ヶ月は家族ともどもスイスで暮らし、北半球が秋になるとオークランドでの活動になります。スイスのレマン湖ではマッチレースの練習中心ですが、旧・スイス艇の改造も終わり、スイスチャレンジも本格的なテストに入るようです。

アメリカスカップの日程は決定しましたが、挑戦艇を選ぶルイヴィトンカップは4月後半に行われる挑戦艇会議によって詳細がつめ、投票により決定します。

(3月23日発信)

文・写真 斉藤愛子

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